SSブログ

「悪魔の弁護人 御子柴礼司」第4話 2019 [テレビドラマ令和]

無題.jpg
〔2019年/日本/大映テレビ〕



下半身不随になった稲見と会った御子柴。
稲見は告げる「お前を責める、その前に祈ってやれ」。

友人の嘘崎の遺影の前で、ベートーベンのピアノソナタ
「熱情」を聞きながら、御子柴は泣いた。
みどりちゃん殺害の時には泣かなかった御子柴が泣いた。

「お前が嘘崎を思うように、佐原みどりにも
大切に思う人間がたくさんいた」。

稲見は続ける。
「お前には感情がある。悪魔でも獣でもない。
 お前は過去に人ひとり殺しただけでなく、
 今また、院生をひとり死に追いやり、
 ひとりの教官を下半身不随にしてその人生を奪った。
 許されることじゃない」。

御子柴「じゃあ僕はどうすればいいんだよ、
 やったことの重さぐらいもう分かってる。
 死刑にして気が済むなら殺してくれ。その方がいい。殺せよ!」。

稲見「償え! 簡単に死なれてたまるか。
 人ひとり殺したらもう外道だ。
 法律が許しても世間が許してもそれは変わらん。

 いいか、お前は死ぬまで自分の犯した罪と向き合い闘え。
 そして最後の日がくるまで、それを背負って生きろ」。

御子柴「僕には死ぬ権利もないのか…」。

稲見「当然だ。お前に平穏など許さん!。
 後悔なんかするな。悔いたところで過去は修復できん、
 謝罪もするな。いくら謝っても失われた命が戻るわけじゃない。
 その代わり、犯した罪の埋め合わせをしろ。
 外道が人に戻るには償い続けるしかない」。

稲見「死んだ人間の分まで生きろ。懸命に生きろ。
 決して楽な道を選ぶな。悩んで迷って苦しめ。
 そして自分の中にいる獣から目をそらさず常に闘え。
 それを死ぬまで繰り返すことが贖罪へと繋がってゆく。

 だが勘違いするな。罪を償うのは義務じゃない。
 罪人に許された権利だ」。

御子柴は稲見の胸の中で泣いた。




…なんて熱い脚本なのだろう。

罪を償うのは義務ではない。
そう、表向き少年院に収容され期間を全うすれば、
それは贖罪とみなされる。それで罪を償ったとされるのだ。

ほとんどの犯罪者は刑務所に入ったんだから、
罪は許された、もう真人間になったと勘違いする。

教官は説き続ける。
人の道を外れたお前には平穏の日は許されないと、
だが死ぬな、生き続け、その思いを一生持ちづける事で、
それが贖罪に繋がるのだと…。

刑期を終えたからと軽々しく考えるヤツほど、
再び犯罪に手を染める。また償えばいいじゃん♪と。
それでリセットできたと勘違いしているのだ。

人の涙の上に自分の幸せを成り立たせているのだ。

教官の言葉はどこまでも重い。
この言葉が御子柴を人間の道へと引き戻したのだった…。



本年も大変お世話になり、ありがとうございました。
来たる2020年も変わりませず、よろしくお願いいたします。
本日の更新は本日でおしまいとさせて頂きます。
明日はまた明日の更新がございます。

なお、新年第1回目は1月1日を予定しております。
お近くに寄られましたら、ぜひお立ち寄りください。
それではみなさま、よいお年を…。




評価 ★★★☆☆
nise!(10) 

nise! 10